久しぶりの本ブログ書き込みです。
六年前の12月14日、僕にとって幼馴じみであり
小中学校同級生のS君が急逝されました。
その直後、某コミュニティ・サイトの自分の日記に書き込んだのが
以下の文章です。
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昨日夕方、親友のS君の訃報を聞いた。
信じられなかった。
訃報を聞いた後、一人で車を走らせながら
お互い幼い頃のことを思い出していた。
小学校低学年の頃、毎週土曜日授業が終われば、
まっすぐ家電販売店を営むS君宅へ押しかけ、
S君家族や従業員さんとお昼を頂くのが
常だったこと、今は亡きS君のお父さんが、
ラジコン飛行機を飛ばすのをみせてもらったこと、
雑種の子犬を貰って育てたこと、などなど。
雨が濡らすフロントガラスを幾度もワイパーが
拭いているのに、一向に目の前が濡れている。
どうしたことか?と思ったが、
信号待ちのときに気が付いた。
濡れているのは僕の両瞼だった。
雨がやんだ今朝になっても、
心の中に雨が降っている・・・・
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訃報の電話は、S君の菩提寺和尚からでした。
お通夜は浜松市内の某葬祭場で営まれ、
S君の母上や姉妹ら親族、恩師のT先生ら参列のもと
僕は流れる涙をこらえて菩提寺和尚と読経したものです。
読経を終えて、呆然としながら駐車場へと向かう僕に
声をかけてくれた女性二人。小中学同級生の彼女らも
お通夜に参列していたのでした。
十二月の寒空の屋外で三十分ほど思い出話などしているうち
どれだけ気が楽になったことか。
このときほど同級生の有り難さを感じたことはありません。
今もこの夜のことを思い出す度に
同級生の彼女らへの感謝の気持ちで一杯です。
翌日の葬儀、読経が終わってからの告別式で
僕はS君の棺の中に花を手向け、
彼の手元に自分の愛用していた菩提樹の数珠を持たせました。
子供の頃は、お互い誕生会をしてプレゼント交換をしたもの。
これが最後のプレゼント、というわけでした。
今年、中学の同窓会を開催するに当たり、名簿作成に携わった中で、
予想外に物故者の多いことに驚かされました。
S君だけではなかった・・・
S君の命日には、彼の供養のために読経します。
これは物故された同級生諸君のためでもあります。
何故かって?
亡くなった皆のため、我々は 生き続けなければならないのです。
「憧れも名誉もいらない、華やかな夢も欲しくない。
生き続けることの意味、それだけを待ち望んでいたい」
(山下達郎『蒼茫』)
明日12月14日は彼の祥月命日。
幸いにして寺の住職となった自分の勤めと心得て
精一杯読経します。